北の果てであいましょう

2003年 、30歳のある夜に脳出血(右脳被殻出血)を発症。後遺症で左半身不随(片麻痺)の重度障害者となってもそれなりに続く「フツーな日々」をしれっと綴っていきます。

強行軍にて~その四~

青森を出発して4時間。

秋田県上小阿仁村

赤信号を堂々とわたるお年寄り軍団に

青信号の車が止まるという摩訶不思議空間に吸い込まれたりしたものの、

10時には秋田に到着です。(この余裕のために強行軍した次第です。)

病院時代の同期?というか知人の男性と、

私が敬愛するPTさんのところに挨拶に行った後、かつて入院していた病院に向かいました。

発症一ヵ月後の03年7月から12月までの半年を過ごした(大変お世話になった)

秋田県立リハビリテーション・精神医療センタ- は、さまざまなあらゆる意味で思い出多いところです。

ここでの病院の話は、さくりと書き切れないので、後にします。

帰省するたびに立ち寄るのは、挨拶のため・・・・ではなく入院の頃挑戦していたタイムアタックです。

広大な敷地内には歩行訓練用か、整えられたコースがあり、途中に東屋があります。

東屋1

この東屋は、入院当初は窓から見ることしか出来ませんでした。

道のりは病院出入り口から700メートルぐらいでしょうか?

はじめは車椅子。

装具にあう靴がなかった頃は40分ぐらい、

退院直前のころはここまで歩いて25分かかりました。

去年、04年の10月に訪れたときは13分。

・・・・・今回は8分でした。(あいかわらず汗かいたけど・・・。)

健常な身ならなんのことはない成果ですが、すごくうれしかったりします。

この東屋の奥には階段があり、そこをのぼると最後の東屋。

ここにたどり着いたときの喜びといったら・・・・。

東屋2

東屋2より病院

↑病院が遠いー。

あのころの気持ちで慢心せずはげもう。と感傷に浸るのでした・・・。

北の果てであいましょう-マイカーとベンチ

かつてよく座ったベンチにもたれかかると、

水を飲んで車に乗り込み実家に向かいました。

本件とは関係なく、明日から一泊二日で新潟行って来ます・・。我ながらせわしないのう~ヽ(´Д`)ノ