北の果てであいましょう

2003年 、30歳のある夜に脳出血(右脳被殻出血)を発症。後遺症で左半身不随(片麻痺)の重度障害者となってもそれなりに続く「フツーな日々」をしれっと綴っていきます。

週末強行軍 ~長崎と台風と私その4~

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9月17日(午後)

小雨が雨にになってきました。市電を乗り継ぎ、長崎歴史文化博物館へ。

私は左麻痺。坂道で杖を持つと、かさはもてません。

急いで歩くと、なんとかおしめり程度で博物館に入れました。

長崎歴史文化博物館

中は畳などのため、靴をぬがねばなりません。ご注意を。

「杖はお使いください」と言われましたが、それでは土足と同じなので遠慮いたしました。

「杖がないとまったく不可」の場合は、杖を拭くしかないかもしれません。

中では地元ボランティアさんたちが劇をやっていました。

がんばるボランティアさん・大盛況。

まさに幕府の外務省。なかなか勉強になりましたよ・・・・。

ですが、ここに来たのはそれだけではありません。

昭和5年(1930)創業の銀嶺が、長崎歴史文化博物館内に復活。」(by るるぶ)

という言葉に惹かれ食したのは

「長崎名物」トルコライス

トルコライス

うーんカロリフル!

根室エスカロップみたいでした・・・。)

軍艦島を見たい」以外ノープランだったわたしにとっていい道しるべとなった「さるくパスポート」ですが、

のこりは「出島」のみ。

雨が・・・風が・・・。

博物館を出るころには、雨も風も強くなってきました。

市電乗り換えのために降りた

JR長崎駅前では、地元のカメラ・クルーが駅前を撮影していました。

確かに、ちょっとやばくなってきました。

結果論ですが、ここでホテルに逃げ帰るべきでした。

JR長崎駅前

しかし帰らなかった私は、ほぼ無人の長崎ベイエリアを散策、

そのまま出島に向かいました。(そろそろ転びそうな風になってきました。)

俺しかいない!

「さるくパスポート」完全制覇なり~」

・・・・と出島にたどり着きましたが、

出島にて

休館になっておりました・・・・。

(´Д`)ソリャソウネ・・・そして失意の帰り道・・・・。

秒速30メートルの風に、メガネをもっていかれたのでした・・・・。

詳しくは先日書いた「週末強行軍 長崎と台風と私その1」に書いたとおりです・・・。